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某所よりアンデルセン「人魚姫」についてのコメントを求められたので,読んでみました.

子供の頃に童話を読んだ程度の知識だったのですが,改めて完全版を読んでみると実に生々しい.以下ネタバレを含む.

子供向けの童話(簡略版)だと純粋な人魚姫の悲恋話という感じだったと記憶しているけど,こちらの人魚姫はいかにもオンナオンナしているというか.「難破船から助けてあげたのに私に振り向いてくれないムキー!」なんて姿勢は,いかにも非モテ女性にありがちな思い込みです.挙げ句の果てに隣国のお姫様と王子様が結婚すると,短剣を持って寝室に忍びこむって…どう考えてもストーカーです本当にありがとうございました.

王子視点からすると「ストーカーこわいれす」というのがこの話.一方,王子にも問題があって,人間になった人魚姫をかわいがり,キスしたりする.そりゃ人魚姫も勘違いするよね.イケメンリア充しかも地位あるボンボンがそんなことをしてはいけない!その気はないにしても,見事に女を弄んでいる…

ちなみに「人魚姫」の解釈としては,

人魚姫 - Wikipedia

どこまでも純粋に王子を愛しながらも、報われる事がなかった人魚姫の悲しい恋の物語は、失恋を繰り返し、ついには生涯を独身で通したアンデルセンの、苦い思いが投影されていると言われている。

なるほど,アンデルセン自身も非モテをこじらせているのか.まぁ人魚姫は愛というより妄執だと思うけどね.

恋愛面以外にも教訓があります.人魚姫に足を与える代わりに声を奪う魔女に注目.薬の効能を謳って消費者をその気にさせたところで対価(声)を要求するといった強引な対面販売,短剣で王子を刺せば助かるという契約条項を最初に説明しないといった詐欺っぷり.最初から約款に書いとけよ(いや,契約書の裏側に小さな文字で書いているのかもしれない).人魚姫が自ら薬を求めに通っているからクーリングオフも効かない.契約こわい!

ということで,現代人が学ぶべき「人魚姫」の教訓.

  • 非モテをこじらせると大変なことになる.
  • 思い込みの強い女性に注意.ストーカーになるぞ.
  • イケメンの何気ない誘いに注意.
  • 契約は慎重に,契約書を熟読しよう!

…はたして依頼されたコメントはこんな内容でいいのでしょうか.

イギリスの「施設」で育った3人の子供たち。 主人公のキャシーは「介護人」という仕事をしているようだが、彼女の「施設」時代の回想から物語が始まる。

寄宿学校なのか、児童養護施設的なところなのか、具体的なことは明かされないが、その「施設」での生活のあれこれが、とても丁寧に描かれていく。

イギリスの田園地帯を思い起こされるような、美しい自然と、風景に調和した子供たちのいきいきとした暮らしが目に見えるよう。 友情もあればけんかもあり、いじめや先生との軋轢もある・・・。 しかし何か「謎」が残る描き方なのだ。 この施設の子供たちには何か「謎」があり、そのため子供たちはなんらかの「枷」を背負っている。 少しづつ、少しづつ、その「謎」と「枷」が明かされていく・・・。

カズオ・イシグロの抑制の効いた、決して「筆が走」ったりしない落ち着いた淡々とした描写が美しく、こうしたミステリー要素の入った物語にとても合っていた。

・・・・・・・・

「運命」や「使命」という言葉がこんなに辛いものだとは。

私たちは、なんのために生まれてきたのか。 なにを人生で成すべきなのか。

それが明確に決まっているということは、実はとても苦しい枷なのではないかと思ってしまった。 決して外れることのできない運命を生きなければならない彼ら。そんな中でも、ひとは喜びを感じ創造性を持ち泣き苦しむのだ。ひとの営みは、こんなにも悲しくて切ないものなのだ。

せめて枷のない私たちは、もっと自由に喜びを感じたいと、思う。

3月に映画が公開されるとのことで、楽しみにしている。
http://movies.foxjapan.com/watahana/

※mixvox注記:映画公開前に原稿をもらっていましたが,更新が今になってしまいました.tremens先生ごめんなさい…

主人公、アレクサンドル・ペトローヴィチは、貴族出の移住囚。10年の刑期を務め上げ、小さな町でひっそりと暮らしていた。人付き合いのほとんどなかった彼が書き溜めていたノートが彼の死後発見される。それはアレクサンドル・ペトローヴィチが耐え抜いた十年間の獄中生活の記録であった。

元貴族が民衆の中に入って信頼を得ることほど難しいことはない。たとえ信頼を得ることができたとしても貴族出の囚人が他の囚人から仲間として認められることは決してなかった。アレクサンドル・ペトローヴィチは獄中で彼らとどのように接すればいいのか…。彼は次のような方針を立てた。

彼らの脅しや憎悪を恐れず、できる限り気づかないふりをする。
取り入ったり、機嫌を取ったり、無理に近寄ろうとしない。
先方から近づきたいと思うなら拒まない。

彼は上っ面に惑わされず、偏見を捨てじっくりと一人一人の人柄を見ようとする。見下さず、卑下もせず、人間を真横から見つめる。民衆の態度がどうであれ、彼は関係を閉ざさず彼らをじっと見続ける。そして彼は彼を憎悪し軽蔑する民衆の内部に、彼の心を和らげてくれるものがあることに気づく。一番印象に残ったのは、監獄内での演劇鑑賞で民衆が彼に一番いい席を勧める場面。普段見せる憎悪や軽蔑をよそに、芝居に関しては彼らのうちで彼が一番見る目があることを潔く認める素直さ。そんな民衆の公正さに彼は感動する。彼が特に愛したのは人間の人間らしさ。怒りっぽくわがままな男に我慢ならず袂を分かつことになっても、彼はその男を愛することをやめられない。その反対に自制力があり尊敬できる男であっても、その男が他人に心の内を見せないという理由でどうしても彼はその男を愛することができなかった。他人との関係を拒絶する人に人間らしさを感じないのは、ドストエフスキーの愛が相手をじっと見つめ心を開くことに基づくからだろう。

もうひとつ私が気に入ったのは、主人公が出所前の数年の自分の精神状態を記した部分。

「私は未来の全生活の計画を作り、絶対にそれを守ることを決意した。私の心の中にはそれを完全に実行するし、またできるという盲信が生まれた。(中略)青春の力に満ち溢れた数年を獄中で送ることになったら、誰でもこれと同じ思いをするに違いないからである」(p.434)
ドストエフスキーが政治犯としてシベリアで獄中生活を送ったのは、28歳から32歳にかけてのこと。彼自身も当時このような思いを抱いていたのかもしれない。彼は獄中生活を基に様々な題材を得、それを後の創作活動の糧にした。獄中生活を通して堅持し続けた人間の暗部に真摯に目を向ける態度は、きっと他の著作にも表れているのだろう。ドストエフスキーの小説を他にもたくさん読んでみたい。

本日の読書会のお題は,エドガー・アラン・ポー『黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)』.小川高義による新訳の方です.

20数年ぶりに読んだ気がする.そして20数年ぶりでもやっぱり怖い.

怖いというのは「猫の祟り」なんて直接的なものではなくて,酒に溺れて人格が変わり,猫の目をえぐるどころか妻まで惨殺してしまう男の心理が怖い.今でいうDVのようなもの.しかも凶行の後に,

あの憎らしい猫がいなくなってくれた.この夜は姿を見せなかった.だから一晩は,あれを家の中へ入れてから初めて,ぐっすりと静かに寝られた.そう,人を殺した重さが魂にかかっても,よく眠れたのだった.(P.24)

などと落ち着いて眠るのが恐ろしいったらない.私も酒を飲む人間なので他人事ではない…

旧訳(→青空文庫)と比べると文章はすっきりしています.「一疋の犬」「かの動物」といった序数や代名詞が省かれ「犬」「猫」なんて変わっているのが特徴とも言えるし,「しかしあれこれと考えてみてやっと気が安まった」という表現が「やがて推理という味方が来た」と変わっているのも,実に洒落ています.

ただホラーの翻訳ものって,表現がおどろおどろしく,強調点が添えられたり突然口語調になったりなんてのが怖さのものでもあるから,少し洗練されすぎている気がしないでもない,かも.

ギャツビーを読むのは3度目。野崎孝訳のものと、村上春樹訳のものは読み比べたことがある。そして今回、愛する「光文社古典新訳文庫」にて、小川高義訳のものが出版された。

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)
グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

ジュンパ・ラヒリの世界観を表現した小川高義が、フィッツジェラルドを、しかもギャツビーをどう描くのか?正直、村上春樹ファンとしてはハルキ版でギャツビーは(ほぼ)完成ではないか、とも思ってしまっているので、その先入観は崩れるだろうかといった点も興味深い。

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