会いたかった - 太宰治『津軽』

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太宰の文体は読者に語りかけるようなので、自分が太宰とは似ても似つかぬ人間であっても他人事とは思えなくなってしまう。登場人物の行き場のない苦しさ居場所のない孤独感に自分まで苦しくなってしまうので、『津軽』の「獲友の告白」を読んでいて心から「よかった、よかった」と思ってしまった。

太宰は津軽旅行での昔の友人、女中、下男との再会を『津軽』に著す。津軽の人は人をもてなしたい気持ちが強すぎてそれが空回りすることがあるらしい。右往左往してあれこれ持ち出し、どうしていいかわからなくなり結局お客を閉口させてしまう。散々ご馳走した挙句、後日非礼をわびて回らねばならなくなることも珍しくないそう。太宰はこれを「津軽の人の愛情表現は、少し水で薄めて服用しなければ他国の人には無理なところがあるかもしれない」と表現する。きっと、太宰にもこんな面があったのだろう。

太宰はどうしても会いたかった昔の女中、たけとの再会を果たすが、矢継ぎ早に質問を浴びせかけるたけの不器用な愛情表現に自分との共通点を見出す。「見よ、私の忘れ得ぬ人は…」と津軽で再会した人々を挙げ、「私はこれらの人と友である」と宣言する。「見よ」というのが特にいい。「獲友の告白」と言われるこの部分を読んで、私まで嬉しくなってしまった。

太宰自身、旧家に生まれていながら父や兄には近づきがたさを感じ、下男や女中とは打ち解けるけれどやはり自分は旧家の人間だという意識があり、自分の居場所を上手く定めることができずに悩んだのだろう。その孤独には一生付き合わねばならないが、それでも自分を育てた女中と自分との共通点を見つけた時は心強かったのだろう。「見よ」と言いたくなるのも無理はない。暗いトーンの作品も好きだけど、こういう明るくて前向きな部分を覗かせる作品も好き。