書評:中村うさぎ『私という病』

「女であること」を正々堂々と楽しめないのはなぜなのか。中村うさぎにとってその疑問を解決する糸口になったのがデリヘル嬢体験。リスクを考えると「えらく思い切った実体験主義だなぁ」と思うが、読んでいると女性として生きることの大変さがよくわかる。

《男達から女として扱われることを喜ぶ自分》と《男達からの女扱いを拒否する自分》というふうに自己認識が分裂してしまうことは誰にとっても辛いし居心地の悪いものだ。 中村うさぎによると、《女扱いを望む自分》と《女扱いを拒否する自分》、そのどちらの自分も共通して求めているものがあるそうだ。それは「主体的でありたい」ということ。端的に言えば「欲情されたい」のではなく「欲情させたい」という事らしい。痴漢やセクハラは相手の意志を無視して他人を〈性的対象〉として扱うから、相手に人格を踏みにじられるような屈辱感を与える。でも、デリヘルの場合は自分の意志に基づいて〈性的対象〉となることを選んでいるという点で、痴漢やセクハラに遭うのとは大違いらしい。それは当然だと思うのだけど、「デリヘルなんかやる女は男の欲望の対象にされたいんだから何をやってもいい」というとんでもない勘違いをした男がいるのも事実だ。実際、中村さんがデリヘルをやっているというのを聞いて妙に馴れ馴れしくなった男性が数人いたそうだ…。

「性的欲望の主体性」を回復するためにデリヘルに挑戦するというのは随分極端な選択だなぁと思ったけど、〈男のために〉女らしくあることを求められるのが不愉快であることは、私にもよくわかる。いくら彼氏だからって「スカートをはけ」とか「髪を伸ばせ」とか言われると「私は私のために生きているんであって、あなたを喜ばせるために生きているんじゃないぞ!」って思ってしまう。言っている方はちょっとしたアドバイスのつもりかもしれないが、「女は男を喜ばせるために存在している」という発想が言外に含まれているのはニュアンスでわかる。

男の人がそういう発想を無自覚に持ってしまうのはひょっとすると本人のせいだけではないのかもしれない。そういう男の人の母親が〈息子の世話をかいがいしく焼くことに喜びを感じるタイプの人〉だったりするのを見ていると「母親のせいかな?」と思えなくもない。幼児にとっては母親は〈自分のために存在するもの〉なのだろうが、成長するにつれて母親にも〈母親自身のために生きる権利がある〉というのがわかってくるものだと思う。他人の人生が他人のものだということを弁えていない男の人と付き合っていくのは辛い。そういう人が相手だと、女性として魅力的であることを素直に楽しむことさえ難しくなってしまう。セクハラや痴漢に遭ったこともなく随分呑気に生きてきた私でさえも、男嫌いになる人の気持ちは何となく理解できる気がする。