書評:大崎善生『聖の青春』

重い腎臓病を患いながら、名人を目指す棋士、村山聖(さとし)。
病気の弟子のために、パンツも洗うし、少女漫画も買いに走る、愛情溢れる師匠、森信雄。
この二人と同じ部屋で眠ったり、一緒にご飯を食べることもある仲だった将棋雑誌の元編集長、大崎善生が描くノンフィクション。

村山聖の将棋に対する情熱、息子を支え応援する両親、師匠やライバルとの関係が魅力的に描かれ、将棋について全く知識のなかった私も、夢中で読んでしまった。
読んだ後はもちろん将棋ファンに!

村山は13歳で広島の実家を離れ、将棋の修行をするため大阪の森のもとへ。
森は一目で村山を気に入り、弟子にすることに決める。
森が語る村山の人間的な魅力は次の通り。

心の底にどっしりと横たわっている純粋さ。
人生に対する怜悧な視線。
人間や社会に対するシニカルさと、それと反対の好奇心。
利口そうに振舞おうとしても正体を現してしまう人のよさ。

そんな村山と、師匠森との奇妙な二人暮らしが始まる。

将棋界というのは本当に厳しい世界。
プロでもアマでもない奨励会員に収入はなく、将来の保証もない。
さらに、21歳で初段、26歳で四段など、厳しい年齢制限が立ちはだかる。
年齢制限がクリアできなければ退会だ。
精神的な重圧から、不眠、腹痛、嘔吐に悩まされることも、奨励会在籍者にとっては珍しくない。

厳しい世界で命がけで将棋を指す村山の姿を見ているとかわいそうな気もしてくるのだけど、生きる目標を《夢を追うこと》に定めた村山に他人が同情を寄せる余地はない。
《苦しいことを避けながら要領よく生きること》よりも《どんなに苦しくても諦められない何かを見つけて生きること》の方が幸せなのだということに改めて気付かされる。

村山は「腎炎・ネフローゼ児」を守る会の機関紙に次のような文章を載せる。
「将棋は頭のよさではなく、精神力の強さを競うゲーム。負けるかもという感情は勝負の邪魔になる。目の前の一局に全力を尽くし、負ければまた次の一局に全力を注ぐ。」
「痛みや苦しみは主観的なもの。だから人の痛みを真に理解することはできない。哀れみや同情もない。そういう意味で、人は常に対等。」

ざっとまとめてしまって正確な引用ではないのだけど、鮮明に生きる村山らしい言葉だと思った。
この本の中で一番好きな部分。

師匠が病気の弟子をかわいがっているというだけじゃなく彼の人間的な魅力に惚れこんでいるというところが、二人の師弟関係を理想的なものにしていて、「羨ましいなぁ」と思ってしまう。

私は村山聖の現役時代を知らないことが残念でならない。
『聖の青春』には村山が羽生善治と一緒にご飯を食べに行くエピソードが出てくるのだけど、福島高架下の更科食堂というそのお店に、私も一度行ってみたい。