書評:山崎ナオコーラ『指先からソーダ』

人のセックスを笑うな』で知られる山崎ナオコーラのエッセイ『指先からソーダ』,読了.

著者は1978年生まれ.1976年生まれの私と近い世代.表題は朝日新聞土曜版に2005-07年にかけて連載されたエッセイで,著者の26-28歳というお年頃に書かれたものです.これがまた,若い.

高校生までは「ぼっち」であったこと,これまでの恋愛経験(意外と豊富なようだ),そしてこれからの恋愛願望などが赤裸々に描かれています.他にも金銭について,本について,自分の作品について.ただ,そこには必ず彼女自身の思いや,繋がる人々の心境が描かれているように感じました.

人のセックスを笑うな』を読んで,山崎ナオコーラという作家は,風景描写に興味はなく心の機敏を精緻に描くスタイルで,感受性が強すぎるのだろうと思っていました.やはり第一印象通り.若く鋭い賢さ(いわゆる若さ) に満ちています.

私は,私が未だ誰かのことを愛したことがないように,急に思う.今まで自分と仲良くしてくれた男の人たちには申し訳ないことだが.(P.153)

こんなこと言っちゃうのは,もう大人の私としては若いというか青いというか,いや思春期?とか思ってしまうけど.

私は『人のセックスを笑うな』という小説がたいそう好きで,この作家がどんな人間か気になっていましたが,ある意味予想通りでした.山崎ナオコーラという作家の素顔が知りたい人には是非勧めたいエッセイです.


ところで私は,彼女が作品の中で何を主張しようとしているのかが長年気になっていました.それが氷解したのがこの下り.

『人のセックスを笑うな』で,私は十九歳の男の子を主人公に設定したが,書いているときに,十九歳の男の子らしく書こうということは考えなかった.年の差のある恋人の女のことをリアルに描写したい,という野心もなかった.ただ,この文字の羅列を見て誰かが何かを感じてくれるだろうか,と,そのことだけを考えていた.

小説を書く人にはいろいろな思いがあるだろうが,私の場合は,どこかにある何かを伝えたい,と思って小説を書いているのではない.誰かが読んで感じるものを創造したい.その,受け止められる部分を作りたいのだ.(P.176)

なんのことはない,私は著者の掌の上で踊らされていたのだ.