2010年8月アーカイブ

読書会も開催してることだし,京都っぽい本を読むんだ.ということで,森見登美彦のデビュー作『太陽の塔』,読了.

「私」こと主人公の森本は,ヒロイン・水尾さんにふられた京大5回生.彼はかつての恋人である水尾さんに関する独自の観察を続け,240枚に及ぶ大レポートを書いている…

という大学生の妄想に溢れたストーキング(本人自覚ゼロ)を語る青春小説.これだけおバカな京大生を描き,かつ無駄に文豪を思わせる文体の作家は,当代では森見登美彦をおいて他あるまい!この人は愛すべきバカだ!(褒め言葉)純粋に娯楽小説としてウヒャヒャと笑いながら読める作品です.

…と,モテない理系大学生の妄想生活を写実的に描写していると私(かつてのモテない理系大学生)は思ったのだが,ファンタジーノベル大賞を受賞しているのね本作.どこがファンタジーだったか,いまひとつ理解できていない…誰か教えてください.

選評|第十五回日本ファンタジーノベル大賞|新潮社

選評を読んでも分からん…

人のセックスを笑うな』で知られる山崎ナオコーラのエッセイ『指先からソーダ』,読了.

著者は1978年生まれ.1976年生まれの私と近い世代.表題は朝日新聞土曜版に2005-07年にかけて連載されたエッセイで,著者の26-28歳というお年頃に書かれたものです.これがまた,若い.

高校生までは「ぼっち」であったこと,これまでの恋愛経験(意外と豊富なようだ),そしてこれからの恋愛願望などが赤裸々に描かれています.他にも金銭について,本について,自分の作品について.ただ,そこには必ず彼女自身の思いや,繋がる人々の心境が描かれているように感じました.

人のセックスを笑うな』を読んで,山崎ナオコーラという作家は,風景描写に興味はなく心の機敏を精緻に描くスタイルで,感受性が強すぎるのだろうと思っていました.やはり第一印象通り.若く鋭い賢さ(いわゆる若さ) に満ちています.

私は,私が未だ誰かのことを愛したことがないように,急に思う.今まで自分と仲良くしてくれた男の人たちには申し訳ないことだが.(P.153)

こんなこと言っちゃうのは,もう大人の私としては若いというか青いというか,いや思春期?とか思ってしまうけど.

私は『人のセックスを笑うな』という小説がたいそう好きで,この作家がどんな人間か気になっていましたが,ある意味予想通りでした.山崎ナオコーラという作家の素顔が知りたい人には是非勧めたいエッセイです.


ところで私は,彼女が作品の中で何を主張しようとしているのかが長年気になっていました.それが氷解したのがこの下り.

『人のセックスを笑うな』で,私は十九歳の男の子を主人公に設定したが,書いているときに,十九歳の男の子らしく書こうということは考えなかった.年の差のある恋人の女のことをリアルに描写したい,という野心もなかった.ただ,この文字の羅列を見て誰かが何かを感じてくれるだろうか,と,そのことだけを考えていた.

小説を書く人にはいろいろな思いがあるだろうが,私の場合は,どこかにある何かを伝えたい,と思って小説を書いているのではない.誰かが読んで感じるものを創造したい.その,受け止められる部分を作りたいのだ.(P.176)

なんのことはない,私は著者の掌の上で踊らされていたのだ.

私、京都在住ではありますが、京都生まれ京都育ちではありません。よし、郷に入りては郷に従え、 虎穴に入りずんば虎子を得ず(←用法間違い)! 京都の伝統的なコミュニケーションツールである「イケズ」を知ろうと思い入江敦彦『イケズの構造』という本を読みました。

作者は京都の西陣に生まれ、現在はイギリス在住のエッセイストです。 京都についての著書をたくさんお持ちです。

本書も現代のイケズうんぬん(イケズは人に恥を欠かせないための方便である・・・など)のくだりも面白く読めるのだが、源氏物語を京ことばで表現するところは圧巻!源氏物語ってイケズ満載だったのね・・・。

「えらいご執心やこと。そない思わはるんやったら、そなんちゃいますか。そやけど聞くほどのこともおへんのちゃいますか」

末摘花のうわさを聞きつけた光源氏が、乳兄弟である命婦に彼女との渡りをつけてもらおうと頼み、それに対する命婦の返し・・・の部分だそうです。妙にリアル。情景がいきいきとして目に見えるよう。

京ことばって女性らしくて好きだなと思う。 皮肉もイケズも負な感情もいろいろあるけれど、伝えずにいられない言葉をぐるんと“京ことば”にくるんでしまう。柔らかなイントネーションがクッションになって、相手を痛めることなくその思いを伝えることができるだろう。目に見えないもの、言外に表現されるものも使いこなして他者との関係性を保つのは、女性ならではのコミュニケーションスキル。 はんなり~とかたおやか~とは特に思わないけれど、“京ことば”は“言語ツール”としてかなり完成されているんじゃないの!?なんて思います。

そうそう、京都人って「うんこさん」って言うんですよ・・・。 なんで「さん付け」なんですかね・・・。

京都人と結婚した会社の同僚女性に聞いてみたら、「確かに、うちの義母は何にでも「さん付け」しはる!」とのこと。

「ゆうこさん、この門じゃあどろぼうさんがたくさんたくさん来はるやないの・・・ まあ、台所もお掃除が・・・ごきぶりさんもようけ来はるよ。ねえ、ゆうこさん」

どろぼうさんとごきぶりさんとゆうこさん(同僚)は同列かーーーー!!! と笑っておりました。確かに。何の選別で「さん」をつけているのでしょうか。

「お父さん、ジョン(犬)がうんこさんまだしてないから、散歩に連れて行ってあげてくださいな」

とも言うそうです。 お父さんもうんこさんも同列と見た・・・笑。

浅田次郎を本格的に読むのは,初めてだ。

別に読まず嫌いというほどでもありません。JALの機内誌に連載されているエッセイ『つばさよつばさ』は機内で面白く読んでいましたが,本格的に本を手に取る機会がなかっただけです。ところが先々月の読書会の他twitter上でも勧められることが多かったので,読んでみることにしました。初めてなら『プリズンホテル』をオススメされたので,シリーズ第1作から。

プリズンホテル - Wikipedia

ヤクザが経営する任侠団体専用リゾートホテル「プリズンホテル」。設定だけで笑える娯楽小説。

リゾートホテルの中で描かれる密室劇。職人気質で一徹なホテルマンや料理人。愛嬌のあるヤクザの大親分。上には従順で(意外と)真面目な構成員。三谷幸喜に通ずるものがあると感じました(年齢は浅田次郎が歳上か)。

先述の通り,浅田次郎はJAL機内誌と読書会で『姫椿』の一章を読んだのみですが,人間の心の機微をとらえて,感動を押しつけすぎず,しつこくない文量に笑いと涙をまとめるのが上手い人,という認識でいます。あとアウトローを描くのが上手い。今後他の作品を読んでいくうちに評価がどのように変わるか楽しみです。

『プリズンホテル』,他のシリーズも読んでみよう,と…

この物語は群像劇であるが、シリーズ全体においては彼の成長がテーマとなっている。

そういう話だったの?もっとユーモアに満ちたものだと思ってました…

下鴨神社・糺の森の古本市でジャケ買いした一冊.

絵柄が綺麗なので購入してしまいました.高校生から大学生にかけての若い世代の恋愛とセックスを描いた6つの短篇.

著者は初めて知ったのですが,テーマ的には魚喃キリコに近いかも…ただ徹底して登場人物に語らせず読者に観察を要求する魚喃キリコと,きちんと言葉にする著者とでは毛色が違うかも.魚喃キリコはある種「無表情さ」が上手いからね.

少年少女に恋だの愛だのを口にさせる中,この言葉は秀逸.

俺たちの関係ってきっと
恋愛とかそんなんじゃないと思うんだ
けどさ
すごくどきどきする
今もね
なんだかどきどきしてるよ

嗚呼,10代の頃にこんな甘酸っぱい台詞を吐きたかったと30代になって思うのだった.

ところで6編中4編が高校生の物語.最近の若い人はそんなにセックスしてるのかと30代になって(以下略).まぁ,セックスが楽しいのは30過ぎてからだけどね.

私が「読書」をはっきりと意識したのは、12歳の秋に読んだミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だったように記憶している。重層的な物語の楽しさはいうまでもなく、赤くつるりとしたシルク地に包まれた装丁は魔法がかけられているように美しく、読む自分まで素敵なこどもだと思わせてくれた。(そう、まさに主人公のバスチアン少年と同じように!)

図書館で借りてきたその本をどうしても自分のものにしたくて、親にクリスマスプレゼントとして買ってもらったのだった。あのころで2800円。児童書にしては高くてなかなか手が出なかったのである。(いまでも私の本棚のいちばんいい位置に配置されている。)

「むこう側とこちら側」があること。けれどもその世界にはいつでも容易に入っていけること。それが読書という体験であること。

それを知ったのが「はてしない物語」であったというのは、不思議なような、必然のような、奇妙なきもちだ。

そんなこどもが大人になって、いまでは物語に限らず新書だろうがビジネス書だろうがとにかく本の世界とこちら側を日々行き来している(アブナイ?)私だが、松岡正剛の本を読むとその2つの世界の繋がりと意味を言語化して感じることができる。セイゴオ先生に学ぶと「意識して」むこう側に行くことができるため、持って帰ってくるものが大きくなるのである。

先日読んだのはこの本。松岡正剛『多読術 (ちくまプリマー新書)』。

映画化もされた伊坂幸太郎『死神の精度』,読了.

伊坂幸太郎の個人的評価としては,とかく技巧的.長篇は凝りすぎ,短篇は実験的すぎて,どの作品を読んでもアタリ!という作家ではないと思っています.面白いんだけど当たり外れというか合う合わないが強い.最近の作品は読んでいませんが,そんな風に思っています(大ファンの方ごめんなさい).

そんな中,本作『死神の精度』は純粋に娯楽作品として楽しめるのでよかったです.

本作はクールだけれどどこか抜けている死神(千葉)が,死を迎えようとする人間を「観察」し生死の判断を下す六篇の物語.クレーム処理に明け暮れる若い女性,敵対する組長を討とうとするヤクザ…ハートウォーミングあり,救いのない話あり,ミステリー仕立てありと飽きない構成です.読み切りの六篇と思いきや,読み進めていくうちに各話のゆるいリンクが見えてくるのは,いかにも伊坂幸太郎らしい.

六篇のうち,映画化されたのは「死神の精度」「死神と藤田」「死神対老女」.「死神と藤田」は著者らしいアウトローの物語なので映像化しやすく,また残りの二話は本書の最初と最後を飾るリンクした作品なので映像化は必須か…リンクという意味では「恋愛で死神」も欲しいし,ミステリー風の「吹雪に死神」やロードームービー調の「旅路に死神」も密室劇で面白いと思いますが,尺が足りないか.

いずれにしても,映像をイメージしながら読める作品でオススメです.コアな伊坂ファンにとっては物足りないかもしれませんが,ビギナーの私は楽しめました.映画は未聴なのですが,千葉を金城武で脳内再生しながら読みました.


Sweet Rain 死神の精度 スタンダード・エディション [DVD]
Sweet Rain 死神の精度 スタンダード・エディション [DVD]

DVDのカバージャケットも暗示的でいい!


なお,以下の台詞が印象的なのですが,元ネタは巻末資料によるとジャン・リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』のようです.

「こういう台詞があったんですよ.『誤りと嘘に大した違いはない.五時に来ると言って来ないのはトリックだ.微妙な嘘というのは,ほとんど誤りに近い』って」

何冊目かの三浦しをんエッセイ,『夢のような幸福』,読了.

小説でのうつくしい文とは異なり,エッセイでは妄想炸裂.本書でもすごいことになっています.そろそろこの妄想エネルギーを何らかの形に転用することを科学立国・日本の研究者は考え始める時期に来ているのではないでしょうか.

本書では,以下に挙げるような作品や人物に対する偏愛と妄想が炸裂しています.以下はあくまで一部.

・『愛と誠』
・『ガラスの仮面』
・『嵐が丘』
・『サイボーグ009』
・ヴィゴ・モーテンセン(胸毛と臭そうなのが好きって…)

著者のエッセイはライトな文体で読みやすい.しかし,実は著者自身の読書量は半端なく,ジャンル不問で古典も読み,ものすごい教養を感じる.その異常なまでの教養と愛をライト層に分かりやすく伝えるというのが著者の腕ではないでしょうか.

むろん,言及される作品を読者が未読でも楽しめるが,読んでいるとさらに面白いという暗黙のうちに教養を要求されるエッセイ,それが三浦しをんではないかと最近思い始めてきました.ついでにブロガーとして言うと,これだけ「愛」に満ちた文章を書けるのは羨ましいし,大いに参考になります.

なお,著者の本を読んできた中で初めて『サイボーグ009』への言及を読みました.009オタクの私としては「ほう分かってるじゃないか」となぜか上から目線を発するとともに,彼女と一緒に一晩語り合いたい気分.

鋼の錬金術師 26』ktkr!表紙は人柱諸君.

ガンガンの連載は終了し,アニメでも完結し,コミックスが最後となる珍しい展開.ブロガーとしての立場で言うと,思う存分ネタバレできるのが嬉しいですね!

日経ビジネスオンラインというwebページでタイトルを見かけて興味を持ち、Amazonの評価が悪くなかったので購入しました。

電通総研というコンサルティング会社の「ウェルネスプロジェクト」という健康市場に関する研究結果の中から、特に世代・性差によって異なるストレスの種類を取りあげ、そこから見えてくるそれぞれの生活や恋愛観の違いなどをまとめた本です。20代女性と40代男性のカップルが増えているんだってー。えーやだ、やらしー、不倫とかも多いってことー?という下世話な内容ではありません(笑)

先月の第1回に引き続き,読書会を開催しました.開催のご報告.

・開催日時:8月7日(土)15:00-17:00
・場所:ブーガルーカフェ
・参加者:@tremens,@Apl13,@tremensがmixiから連れてきた方1名,@mixvox(私)

mixvoxoff_20100807_1.jpg

今回は課題図書を設けました.万城目学のデビュー作にして映画化もされた『鴨川ホルモー』,はたして皆さんはどんな感想を抱くのでしょうか.詳細は以下から.

今日の読書会のテーマである『鴨川ホルモー』を読んだので,感想を簡単に.読書会で皆さんの感想はのちほど更新します.

奇想天外!抱腹絶倒!「はじめに」から笑いっぱなしでした.表紙と目次の鴨川の絵もいい.京都市在住経験者には一読を勧めたい一冊(なぜ今まで読まなかったんだろう…).

本を、特に小説を読む楽しみのひとつに、「物語の中から自分を発見できる」ことがある。
主人公や登場人物たちに自分を照らし合わせて共感できる部分を探し、その行動の真意を考える。もちろん、共通項が多い物語は楽しい。しかしそうでない物語も「どこが違ってどこがわからないのか」を考えながら読む。そうするとふとした点から共感が立ち上がってきて、「ああそうか、私にもこういう(考え・もしくは感情)があったんだな」と気づく。
読書を通じてとはいえ他人のこころに寄り添うことで、普段は漫然とつきあっている自分の(考え・もしくは感情)に真摯に向き合うことができるのである。

しかし、これはなかなかに恥ずかしい行為である、と私は考えている。
自分にだけ焦点を合わせた読み方は自慰行為のようにも思え、あまりひとには知られたくない感情の動きである。もちろんそうして自らを知ることも大事なのだけれども、おおっぴらにやっていいことではないような気がする。
(つまりそういうレビューを書き連ねる私はある種の“露悪趣味”がある・・・ということになる。すいません。いつも変なものお見せして。しかし、そう考えると“覗き見趣味”というものもあるわけだから、シュミの需要と供給が成り立っていれば良いとも言えるな。)

小説の読み方としては他にも、「隠された意味を解き明かす推理的読書」や「作者や社会背景と照らし合わせる歴史絵巻的読書」などがあるが、どれにしても「本を読んで、『わかり』たい」という欲望が背景にある。

以前、日経ビジネスオンラインの
「「わかる」は脳に気持ちいい。問題はそのあとだ。」
という記事を読んだ。

「わかる」の基本は、じつのところ、この「自分の既知の図式にものごとがハマった、それが快感として脳に刺戟を与えた、という反射」である。

「わかりやすい」物語はベストセラーになるし、量を読みきちんと読書しようと心がけてしまうひとは「図式を考えてわかろう」とする。だってそのほうがキモチいいんだもん!ということだ。


しかしたまには、わからないままに翻弄されることを楽しむ小説も良いのではないか。
倉橋由美子『聖少女』」は、そういう小説だった。

事故に合い記憶を失った少女未紀と、未紀の婚約者だという「ぼく」。少女の手元には一冊のノートが残されていた。ノートは「いま、血を流しているところなのよ、パパ。」と始まる、未紀の手記であった。「ぼく」は未紀のために、ノートの解読にとりかかる。
「なぜ、だれのために?パパのために、そしてパパをあいしたためにです。」・・・。

年の離れた恋愛、父と娘、姉と弟という近親相姦を背景におきながら、息詰まるほど近い濃厚な親密さと、消えてしまいそうなほど希薄で乾いた関係性が同時に描かれている。
未紀も「ぼく」も、そのほかの登場人物にも、虚構の香りが付きまとう。ノートも含め、誰がほんとうのことを言っているのかは決してわからない妖しさがある。
罪と性の色合いを持つ悪魔的な美しさで文章は紡がれ、読みながら酔っ払ってくるようで楽しい。

「子どもはあたしを喰いあらして高貴な猛獣に成長し、あたしには平和な下降と衰退がおとずれる。幸福。少しずつ死んでいくこと。あたしはおちついた女の声で、駅マデヤッテチョウダイといいました。 ごめんなさい、パパ。あたしはただ、パパをおこしたくなかったのです。いつまでも眠っていてほしかったの。そのまま死んでしまうほど長く深く。(p.80)」
「ぼくは未紀に欲望を感じていたのか?裸でぼくの眼のなかを泳いでいる未紀は、ぼくをかなしませた。かなしみとは適当なことばではないが、とにかく未紀はぼくの内臓をくすぐったりひっぱったりするようなしかたでぼくの対象になっていた。(p.121)」

読みながら「なるほど」なんて思う必要はない。思いたくない。共感もここには必要とされない。ただ、直截的に魂で物語を受け止めるおもしろさがある。
「物語」そのものが「聖少女」の幼さや純粋さ、気高さ、妖しい色気、惑い、成長の拒否などを含んでいて、そりゃまあ翻弄もされるよな、というあきらめと共に本を閉じるしかないのである。美少女に振り回されるのもたまには楽しい・・・。

文章がなんとなく村上春樹の先駆けっぽいなと思ったら、セイゴオ先生のブログにもそんなことが書いてあってちょっと嬉しかった。

三浦しをんを読みまくっています.今ある著書を全部漁ろうとするのは,人生の中でも永倉万治さん,松久淳さんに続いて3人目です.それくらいハマっている.ということで『仏果を得ず』読了.

タイトルにある「仏果」とは「仏道修行の結果として得られる成仏という結果」という意味だそうです.

ぶっか【仏果】 - 国語辞書 - goo辞書

仏果という重い言葉なので坊さんBLかと思いきや,テーマはなんと文楽!芸に賭ける青春小説!ちなみに表紙イラストは勝田文.知らない人ですけど綺麗な絵.

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.13-ja

このアーカイブについて

このページには、2010年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年7月です。

次のアーカイブは2010年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

>>京都読書会の今月のオススメ本!<<