書評:斎藤環『関係する女 所有する男』

以前読んだ酒井順子氏との対談本『「性愛」格差論』での飛ばしっぷりが面白かったので、精神科医、斉藤環氏の最新著作を読んでみることにした。
本書も語り口は知的にして爽快、自論にぐいぐい引っ張っていく筆致が心地よく、あっというまに読むことができた。

ジェンダーにおける「男女の差異」を、精神分析の手法によって解き明かしていこう、というのが本書の試みである。
前半部分は、世にあまたある「『男女の差異』を『身体』に還元して説明」しようとするトンデモ本を論破することに費やされている。
脳、ホルモン、染色体しかり。生物学的な差異がそれらから発生しているのはもちろんだが、ジェンダーまでもが身体性によって決定されるとするのは、あまりにも危険な考え方である。
「男の子だからお外で遊ぶのが好きなんだねえ・・・」「いつも机を拭いてくれて、きれい好きだね、やっぱり女の子だなあ」私たちは、性と個性とを短絡的に結び付けて語りがちな現状に、疑問を持っていいと思う。

バックラッシュという言葉をご存知だろうか。さまざまな意味があるが、近年わが国では「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」といった政策に対する反動としてあらわれてきた言説をさす言葉だ。(略) バックラッシュ一派は、あからさまな男女差別はしない。ただし、男女はそれぞれの性に自然な生き方をせよとお説教するだけだ。いっけん素朴で自然にみえる議論なので、支持する人たちも少なくない。(p.31)

「自然な身体性」という言葉自体が矛盾を抱えており、オカルトめいているという氏の論は私にはよく理解できた。ついでに『バックラッシュ!』という本も注文した。


さて、後半では、氏の論である「女性の「関係原理」と男性の「所有原理」」について、さまざまな事例と共に述べられている。以下、まとめ表の一部を引用。

■所有原理(ジェンダー:男に多い)
基本的願望:持ちたい
享楽の種類:ファルス的享楽
主体の位置:常に位置づけが必要である
性愛の感覚:視覚優位
言語の機能:情報の伝達
時間間隔:「過去」ないし「普遍」志向

■関係原理(ジェンダー:女に多い)
基本的願望:なりたい
享楽の種類:他者の享楽
主体の位置:位置づけが必要とは限らない
性愛の感覚:聴覚優位
言語の機能:情緒の伝達
時間間隔:「現在」志向
(p.230 表の一部)

そして、こうした原理の差異は、精神分析の解釈によると「発達過程」の中で形作られていく、とのことである。もちろん、過程におけるさまざまな環境変化や学びなどによって「所有原理」を持つ女性も「関係原理」を大事にする男性も多くうまれるだろうと想像できる。そういった意味でも、同じ二元論でもこちらのほうが納得できるか。

他者とのコミュニケーション不全に悩むときに、相手がどちらの原理で話をしているのか?と考えてみるとよいかもしれない。解決の糸口が見つかる、もしくはいさぎよく諦められるかも。
あと、飲み会ネタにも役立つことは間違いない(笑)。男女差を二元論で話すとウケる。血液型占い程度には盛り上がるのである。

飲み会といえば、その場での話題に、男性は「何を持っているか(職業、地位、過去の栄光)」と、「情報交換(仕事や趣味関係)」をしたがるのに対し、女性は“自らの話題”は放棄し「タレントや他人の噂話」、もしくは「人間関係の悩み」、「情緒の交換(悩みへの共感やエステなどの“気持ちよかったこと”)」についてよく話している傾向がある・・・と思う。 これも所有原理と関係原理。


また、斉藤氏自身がブログにて

http://d.hatena.ne.jp/pentaxx/20090925/1253868117

男女格差本のパロディというスタイルにしても、「関係原理」や「所有原理」という「フェイクの二元論」も、差異を肯定しつつ無根拠化するというアクロバットのためのギミックとも言えます。

と書いている。差異を肯定しつつ無根拠化する!
男女格差論は血液型占いレベル、楽しむ程度なら害はない、ということでしょうか?

そしてもう一点。
斉藤氏は女性の発達過程における「母娘関係」からさまざまな病理を説くことも専門としている。このくだりが興味深かった。
母娘関係のありかたの特性のために、すべての女性は空虚さを抱え込む。この空虚さを埋めるために必要なものが「関係性」と「自己コントロール感」であるという。
「自己コントロール感」とは自らの肉体を思い通りに制御し、操縦するという感覚である。ダイエットはもちろんのこと、肌の状態、肩こり、体調、生理日の憂鬱、その他もろもろの身体症状を非常に複雑に抱え込み解決(コントロール)しようとするのは、女性ならではの「身体性」への配慮なのだそうだ。
確かに、私も「体をメンテナンス」する感覚で肌を整えゆっくり風呂につかり食事の内容と量を考える。まさに自己コントロール。そうか、だからちょっと体重が増えると“何かに失敗した”気がして憂鬱になるのか。(ちょっと危険だ)
逆に、男性はこうした「身体性」に対して鈍感であることが多いそうだ。

男性は、例外もあるとはいえ、ほとんどの場合は自らの身体を意識していない。彼らは勃起しているとき以外は、自分のペニスの存在を忘れている。そればかりではない。男性にとっての身体は、かゆい時、痛い時、といった、障害された状態において、はじめてその存在を主張しはじめるのだ。苦痛をともなわない時の男性の身体は、ほとんど意識にのぼらないという意味で、透明な存在なのである。(略) 多くの男性は、自分の肉体をスポーツとか鍛錬という名目でいじめたり痛めつけたりするのが結構好きだ。これは、そうでもしないと自分が肉体を持っていることを忘れてしまうためではないかと僕は疑っている。(p.210)

男性には肉体がないのね、知らなかった・・・。