書評:中村うさぎ『女という病』

まえがきにある、「女の自意識は、それ自体、病である」。この言葉!

“女である”ということは、自意識に多いに影響される。 私、を考えるときに、女、を抜きにしては進めない。しかし、自分という人間を言語化し形作ろうとすればするほど、 病んでいくように感じるのは、私だけではないはずだ。

中村うさぎが、13の事件を紐解く。 どの事件も女性が主人公であり、彼女らが犯罪者へおちていくようす、もしくは被害者になってしまうまでを、丁寧なこころの動きとともに描いている。 作者の視点と解釈で表現されているので、セミノンフィクションといえるだろうか。硬質な文体に広がりのある表現力が相まって、あっという間に読めてしまう。

なに不自由なく暮らしていた医者の妻が、なぜ無職の男に殺されたのか。12歳の女児は、なぜ親友を殺さねばならなかったのか。彼女たちに共通しているのは、「本当の私」を探して見失い、困惑する姿だ。輝く華やかな「本当の私」がいるはずなのに、いつのまにか道に迷い、暗闇に落ちる。闇から這い上がろうともがく、あるいはあきらめて闇にたたずむ。どちらにしても、残された道は破滅しかない。

恐ろしいのは、これらが他人の物語だとはとても思えない点である。「自分探し」という言葉が流行ったときに、私は、なんだそれはと薄くバカにした記憶がある。探すものではないだろうと。しかし、今となっては、わからないでもない。女は、他者に承認されないと実体がないのだ。誰かの恋人、奥さん、お母さん・・・。たとえ社会で働き経済的に自立していたとしても、そうした女としてのラベリングがないと、自分のいどころがわからなくなり不安になる。 それはおかしいと感じることができたとしても、性愛以外のラベルを「じゃあ本当の私はどこに・・・」と探しに行かざるを得ないのではないか。彼女らと私たち。犯罪にいたるまでには大きな壁があるのだろうか?いや、実は一歩の差なのではないかとすら思われる。

女の自意識は、腹の中でどろどろと渦を巻く、膿腫のような病だ。誰もが、いつの日か破裂するであろうその膿を抱えている。本当の問題から目を背けて「自分探し」をするよりも、この病の中身をのぞいてみたい。